ふと思い立つ、「何かを変えたい」という衝動
毎日、同じ時間に起きて、同じ道を通って仕事に行き、同じような一日を過ごす。
そんな繰り返しの日常の中で、ふと「何か新しいことを始めたい」というスイッチが入ること、ありませんか?
「今年こそは自分を変えたい」
「何かに夢中になっている自分がほしい」
そんな前向きなエネルギーが湧いてくるときって、本当に素敵ですよね。いくつになっても、新しい扉を開こうとする瞬間の高揚感は特別なものです。
私も最近、そんな衝動に従って、二つの大きな挑戦を始めました。
一つは、今こうして書いている「ブログ」の執筆。
もう一つは、将来の健康を見据えた「運動」です。
どちらも自分の成長を感じられて楽しい毎日だったのですが……実は片方で、ちょっとした(いえ、正直に言うと結構痛い)失敗をしてしまったんです。
今日は、私の挑戦と挫折、そしてそこから学んだ「大人が新しいことを続けるために一番大切なこと」について、少しお話しさせてください。
頭を使うのは楽しい!無限に広がるデジタルの世界
まずは、うまくいっている「ブログ」の話からさせてください。
ブログやSNSの運営って、やってみると想像以上にハードですよね。本を読んで知識をインプットし、それを自分の言葉で噛み砕いてアウトプットする。まるで脳みそが汗をかくような感覚があります。
最初は「誰も読んでくれないんじゃないか」と不安でしたが、X(旧Twitter)で発信を始めると、同じように頑張っている仲間と交流が生まれました。「あぁ、一人じゃないんだ」って勇気が湧いてくるんです。
記事を一本書き上げたときの達成感。
誰かから「参考になったよ」と言ってもらえたときの喜び。
心地よい疲労感とともに、「知的な筋肉」がついてきているような充実感がありました。「私、まだまだやれるじゃん!」「新しいことを覚えるのって楽しい!」
そんな自信が、私の中にむくむくと育っていったのです。
そして、その勢いのまま、私はもう一つの挑戦へとアクセルを踏み込みました。
「頭の次は、体だ! 体の方も鍛え直そう!」と。
意気込んだ結果の、まさかのドクターストップ
最初は順調でした。
久しぶりに体を動かす気持ちよさ、汗を流す爽快感。「ブログも運動も頑張っている自分」に酔いしれていた部分もあったかもしれません。
2ヶ月ほど経って、体が少し慣れてきた頃です。私の中に「欲」が出始めました。
「もっと負荷をかければ、もっと早く効果が出るはず」
「昨日はこれくらいできたから、今日はもっといける」
ブログでの成長スピードと同じ感覚で、運動のペースも上げてしまったんです。
脳からの「もっといけ!」という指令に従って、体を追い込みました。
ところが。
ある日突然、足にピキッとした激痛が走りました。
「あれ? おかしいな」と思いながらも数日様子を見ましたが、痛みは引くどころか増すばかり。観念して病院へ行くと、医師から告げられたのは無情な一言でした。
「しばらく運動は控えてください」
まさかのドクターストップです。
健康になるために始めた運動で、怪我をして動けなくなってしまうなんて。
今は運動どころか、日常生活の中で足を治すことに専念しなければなりません。
「自分が思っている以上に、体は年を取っていたんだな……」
痛む足をさすりながら、突きつけられた現実に、私は深く落ち込んでしまいました。
なぜ、私たちは「頑張りすぎて」しまうのか
怪我をして動けない時間、私はベッドの上で天井を見上げながら考えました。
どうして私たちは、つい無理をしてしまうんでしょう?
きっとそれは、「脳」と「体」の時間の流れ方が違うからなんです。
ブログや仕事のような知的作業は、やる気さえあれば何時間でも没頭できます。徹夜で書き上げることも(推奨はされませんが)可能ですし、やった分だけ成果が見えやすい。
私の脳は「もっとやりたい! まだまだ成長したい!」とアクセル全開の状態でした。精神的には、20代の頃と変わらない情熱を持っていたんです。
でも、「体」は違います。
特に私たち30代〜50代の体は、気持ちは若くても、細胞や筋肉、関節の柔軟性は確実に変化しています。回復にかかる時間も、昔よりずっと長くなっているんです。
脳が「いけー!」という命令を出して突っ走っているとき、体はずっと後ろの方で「ちょっと待って、追いつかないよ!」と悲鳴を上げていたはずなんです。
それなのに、私はその小さな声を聞こうとしていませんでした。自信過剰になって、体の声を無視してしまったんですね。
「健康維持には継続が大切」
頭では分かっていたはずの言葉が、怪我をして初めて、痛みを伴って身に染みました。
一時的に頑張って派手に倒れるより、腹八分目で細く長く続ける方が、何倍も価値がある。そんな当たり前のことに、ようやく気づいたのです。
無理なく続けるための、3つの「自分ルール」
今回の痛い失敗を無駄にしないために、私は大人が新しいことを始める時の「安全装置」のようなルールを3つ作ってみました。
もし今、何かを頑張ろうとしている方がいたら、私の二の舞にならないよう、ぜひ参考にしてみてください。
ステップ1:「物足りない」くらいで勇気を持ってやめる
運動も勉強も、「調子がいいな」「もう少しやりたいな」と思うところが、実はやめ時なんです。
食事の「腹八分目」と同じです。余力を残して終えることで、翌日の疲れを防げますし、「もっとやりたい!」という飢餓感が、次の日のモチベーション維持にもつながります。
「頑張った感(達成感)」よりも、「明日も続けられそうな安心感」を大切にする。
これこそが、大人の余裕というものではないでしょうか。
ステップ2:休息日を「サボり」ではなく「回復トレーニング」と呼ぶ
真面目な人ほど、休むことに罪悪感を感じてしまいがちです。「一日休むと、取り戻すのが大変だ」なんて焦る気持ち、よく分かります。
でも、筋肉も脳も、実は「休んでいる間」に修復され、成長しているそうです。
だから私は、何もしない日を「サボり」ではなく、「回復トレーニングの日」と呼ぶことにしました。
「今日は積極的に体を修復させるメニューの日だ」と思えば、堂々と休めますよね。「何もしないこと」も、立派な成長のためのアクションなんです。
ステップ3:他人ではなく「昨日の自分」とだけ比べる
SNSを見れば、毎日何キロも走っている人や、すごい成果を出している人が溢れています。それを見ると、つい「自分は全然だめだ」と焦ってペースを上げたくなります。
でも、その人と自分とでは、年齢も、生活環境も、運動歴も全く違います。
比べるべき相手は、画面の中の他人ではなく、鏡の中の「昨日の自分」だけ。
「昨日より5分多く歩けた」
「先週より、足の痛みが引いてきた」
そんな小さな、自分だけの変化に目を向けるだけで、焦りは消えていきます。自分のペースを守ることは、自分を守ることなんです。
まとめ:ゆっくり行く人は、遠くまで行ける
「急いては事を仕損じる」という言葉がありますが、焦って結果を求めた私は、結局スタート地点に戻ることになってしまいました。
でも、この怪我のおかげで、大切なことに気づけたような気がします。
人生や健康作りは、一瞬のスピードを競う短距離走じゃなくて、長い長いマラソンなんだってことに。
頭は好奇心いっぱいに使いつつ、体は労りながら丁寧に付き合っていく。
そのバランスを調整することこそが、これからの私たちに必要な「大人の成長戦略」なのかもしれません。
今は焦らず、足を治すことに専念します。
そして再開する時は、笑顔で「ああ、物足りない!」と言いながら、ゆっくり、本当にゆっくりと一歩を踏み出すつもりです。
あなたも、もし今何かを頑張りすぎているなら。
ちょっとだけペースを落として、ご自身の体に「大丈夫? 無理してない?」と優しく声をかけてあげてくださいね。
長く続く楽しみは、きっとその「余裕」の中にありますから。



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